一枚の絵を見るとき、描かれているモチーフだけではなく、その中にある「生成」を人は感じます。
そこに、絵が人に何を及ぼすか、ということも関係してきます。
「この絵を見ていると、元気が出る」 「この絵が部屋にあると、なぜか気がよくなる」
絵画には、色、線、点、模様、形など、さまざまな要素があります。これらがどのように関係し、一つの全体を形成しているのか。そこに、絵画における「生成」の構造があります。
小さな点や色が集積することで模様が生まれ、模様から形が形成されます。複数の形は、位置、重なり、反復、差異によって関係し、画面全体の構造をつくります。
点 → 集積 → 模様 → 形 → 関係 → 全体
これは、ミクロからマクロへ向かう生成です。
同時に、形成された全体は、それぞれの部分に作用します。同じ色でも周囲の色によって見え方は変わり、同じ形でも、どこに置かれ、何と隣り合うかによって作用は変化します。
全体 → 関係 → 形 → 模様 → 集積 → 点
これは、マクロからミクロへの作用です。
つまり、
ミクロ → マクロ → ミクロ → マクロ……
と、部分と全体は相互に作用します。
点 ⇄ 集積 ⇄ 模様 ⇄ 形 ⇄ 関係 ⇄ 全体
ここに循環があります。
この循環には時間も含まれます。ある状態から次の状態が生まれ、その状態が次の生成条件になる。関係が変化するたびに次の状態が生まれ、生成が連続していきます。
自然にも、この構造があります。
一枚の葉には葉脈があり、細胞があり、分子があります。その葉は一本の木を構成し、木は土、水、光、空気、微生物、生き物、気候、季節などとの関係の中にあります。
分子 → 細胞 → 葉 → 木 → 環境
そして環境は再び、木、葉、細胞へ作用します。
生命は、異なる階層の要素が相互に関係し、ミクロとマクロを往復しながら成立しています。生命活動によって環境が変化し、変化した環境が再び生命へ作用する。この循環によって自然は生成を続けています。
自然の美しさは、無数の要素が関係し、循環しながら全体を生成し続ける構造そのものにあります。
芸術に生命が現れるのも、この生成構造によるものです。
今回掲載した作品にも、その構造があります。
画面全体には、花や葉を思わせる有機的な形、円や渦、異なる色や模様があります。細部へ入ると、一つの形の内部にも多数の点、線、小さな色の集積、反復と変化があります。
一つの部分がさらに小さな部分から構成され、それぞれが別の部分と関係しながら、より大きな構造へ組み込まれています。
そのため、細部へ近づけても構造があり、画面全体へ離しても構造があります。ミクロとマクロの双方に世界があり、それらが相互に作用しています。
制作の過程にも同じ構造があります。
一つの点を置き、色を重ねる。そこから形が生まれ、形が生まれることで周囲との関係が変化します。その変化から、次の色や形が生まれます。
部分 → 全体 → 部分 → 全体……
一つの部分が全体を変え、変化した全体が次の部分の生成に作用します。その連続によって、作品には制作の時間が蓄積されます。完成した画面には、そこに至るまでの生成の履歴が重なっています。
ここから、絵画を見るための一つの基準が生まれます。
その絵の中に、生成が存在しているか。
点、色、形、部分、全体がどのように関係しているのか。ミクロからマクロへ、マクロからミクロへ。その内部に時間、変化、関係、循環が存在しているのか。
一枚の絵の中にこれらの構造が成立すると、絵は一つの世界を持ちます。
生命を描けば生命のある絵になるのではなく、宇宙を描けば宇宙的な絵になるのでもありません。モチーフや象徴する形を描くことと、作品そのものに生成の構造があることも別です。
何が描かれているかではなく、作品を構成する要素がどのように関係し、ミクロとマクロを往復しながら全体を生成しているのか。生命や自然が持つ生成構造そのものが作品内部に成立することで、絵に生命が現れます。
ここに、
「生成を描く」ことと、 「生成によって描く」ことの違いがあります。
「生成によって描く」とは、制作そのものが生成として進み、その時間、関係、循環が作品の構造として残ることです。
自然がミクロとマクロ、部分と全体、時間と変化、個と関係を循環させながら生命を生成するように、絵画もそれらの関係によって一つの世界を生成します。
生成の構造を持つ芸術には、生命が宿る。
こうして考えると、「この絵を見ていると元気が出る」「この絵があると、なぜかその場の気がよくなる」と感じることも、生成の構造とつながります。
これは、「生成とは何か」という研究から立ち上がる、芸術を見るための一つの理論です。









